ただその子供は、金色の瞳が見てさえいれば・・・
機嫌よく笑っていたのだ
妬 心
「ぐ・・れーん・・・」
昌浩は、とてとてと歩いていた。
「れーん・・・どこぉ・・?」
自分が昼寝をする前までは、あの金色の瞳は傍にあった。
それなのに、目を覚ますとどこにもいない。
「・・・?」
ふと昌浩は足を止めた。
あちらの方から、覚えのある気配とそれに似たものを感じる。
まだ幼い昌浩は、それが神将たちの神気だとは知らない。
しかし慣れ親しんだあの気配の先に彼がいることを、昌浩は知っていた。
「れん・・・じぃさまのおへや・・?」
昌浩は、くるりと向きを変えて歩き出した。
「・・・・・騰蛇」
黙って主の傍に控えていた六合が、珍しく口を開いた。
同じく静かに傍に控えていた紅蓮が、目だけで何だと問いかける。
六合は視線で室の入り口を指し示した。
「昌浩が」
紅蓮はいくらか瞳を瞬かせた。
もう起きてしまったのか。
そうこうしている内に、危なっかしい足取りの子供が室へ入ってくる。
祖父の傍に探していた神将を見つけ、嬉しそうに笑った。
「ぐれー・・・」
迷わず紅蓮の元へ走ってきた末孫を、晴明は必死で笑いを堪えながら見ていた。
困ったような嬉しそうな、複雑な顔をしている紅蓮が面白い。
「紅蓮」
呼ばれた紅蓮は、心得たように頷いた。
「昌浩、部屋へ戻るぞ」
「えぇ〜?」
ぷぅっと頬を膨らませる孫の頭を、晴明は優しく撫でた。
「すまんな昌浩、じいさまは今手が離せないんじゃ。少ぉしの間、紅蓮と遊んでいておくれ」
「じぃさま、いそがしぃの?」
昌浩は、わかったと頷いた。
「うん、じゃぁまさひろ、ぐれんとまってるね」
紅蓮がひょいとその身を抱えると、昌浩は楽しそうに声を上げて笑った。
「とーだ、せいりゅ、りくごー、たーいん・・・」
紅蓮の膝の上で、教えて貰ったばかりの十二神将の名を昌浩は繰り返していた。
なかなかに覚えの早い子だと、本当に感心する。
「げ・・?」
「玄武、か?」
「げ・・ぶ・・げんぶ」
「そうだ」
褒められたと思ったのか、昌浩はキャハハと嬉しそうに笑った。
それにしても愚図らない子供である。
紅蓮は直接知っているわけではないが、吉昌や昌浩の兄たちは、寝起きは随分愚図ったという。
それに比べ、昌浩は寝入る時も寝起きも泣かない。
気性の穏やかな子供なのだろうかと、子供の世話に慣れない紅蓮は思ったりもする。
「てーいつ、てんこー、こーち・・・」
「・・・呼んだか?」
縁側に座っていた二人の上に、スッと影が降りた。
紅蓮が目を上げると、涼やかな笑みを浮かべた同胞がいつの間にかそこに立っていた。
「・・勾。どうかしたのか」
「いいや?何やら楽しそうなので、来ただけだ」
十二神将勾陣は、同胞の膝の上できょとんと自分を見上げてくる子供に目を細めた。
「初めまして昌浩。十二神将が一人、勾陣という」
「・・・こーち?ぐれんと、いっしょ?」
「あぁ。一応騰蛇とは一番近しい存在になるな」
紅蓮に次ぐ闘将である勾陣は、笑ってそう言った。
しかし幼い昌浩には勾陣の言ったことが理解できなかったらしい。
不思議そうに首を傾げている。
「ちかし〜?」
「・・仲良しという意味だよ」
「勾・・・」
困惑したように眉を顰める紅蓮に、勾陣は声を上げて笑った。
珍しい顔を見れたものだ。
紅蓮は、昌浩を膝から降ろして勾陣の隣に立った。
どうにも見下ろさねば落ち着かないらしい。
「お前な、馬鹿なことを言うな」
「馬鹿なこと?何がだ」
「お前楽しんでいるだろう・・」
「さぁ?」
縁側に残された昌浩は、ぽかんと長身の二人を見上げていた。
二人の会話は昌浩にはよくわからない。
しかしとても仲がいいのは昌浩にもわかった。
むむむっと幼子の表情が険しくなる。
「冷えてきたな・・」
勾陣の言に、紅蓮がくるりと踵を返した。
まだ幼い昌浩を、いつまでも風に当たらせるのは得策ではない。
「昌浩、中へ戻るぞ・・・」
そう言って伸ばした紅蓮の手を、昌浩はぺちんっと払い退けた。
「やっ!」
「・・・昌浩?」
「まさひろ、はいんないもん」
「・・・・?何を言っている。風邪を引くぞ」
「やだもん、はいんないもん!」
「昌浩・・どうした」
昌浩がこんな風に駄々を捏ねるなんて、珍しいことだ。
困惑した紅蓮を余所に、昌浩の機嫌は益々悪くなっていく。
「まさひろ・・・ぐれんなんて、きらいっ!!」
スッと、紅蓮の顔から表情が消えた。
それに気付いた昌浩が、驚いたように目を見張る。
「ぐれん・・・・」
紅蓮は、幼子に背を向けた。
ただ一言、そうか・・と呟いて。
逞しい体躯の神将の背が、空気に溶けるようにして消えた。
勾陣は、黙って事の成り行きを見守った。
取り残された幼子は、暫く頬を膨らませてその場に座っていた。
しかしやがて落ちつかなげに、きょろきょろと顔を動かし始める。
「・・・れん・・・?」
ぽつりと小さな呟きが、虚しく響く。
「れーん・・・ぐれーん・・・」
幼子は、大好きな神将の名を呼んだ。
いつだって呼べば即座に来てくれた。
それなのに、今幼子の呼び声に応えるものはない。
「ぐれーん?」
幼子は、立ち上がってとてとてと歩き始めた。
衣をひっくり返したり、廂の下を覗いたり、柱の周りをくるくる周ったりした。
一生懸命、歩いた。
「れん・・れーん・・・」
次第に子供の声がすすり泣きに変わる。
こてんと何度か転んで、それでも歩みを止めずに泣きながら歩いた。
「う・・・うえっ・・・ぐれ・・ぐれーん・・・」
ついに力尽きたのか、昌浩は座り込んでえぐえぐと泣き出した。
しゃくり上げながらも必死に名前を呼んでいるので、息がかなり苦しそうである。
先ほどから黙って見守っていた勾陣は、静かに幼子の傍に片膝をついた。
「昌浩よ」
「うえっ・・ひっく・・こーち・・?」
勾陣の秀麗な顔を大きな瞳で見上げて、昌浩は泣きながら尋ねた。
「こーち、ふぇ・・れん・・ぐれん、どこ?ねぇっ」
「会いたいのか?」
幼子は何度もこくこくと頷いた。
「ならばなぜあんなことを?」
勾陣は知っている。
騰蛇がどれほどにこの子供を大切に見守っているか。
あの騰蛇の纏う空気が、この子供の前では和らぐことを。
だからこそ、子供にとって何気なく発した“嫌い”という言葉がどれほどに痛いか。
拒絶されることが、どんなに恐ろしいか、よくわかるのだ。
「なぜ騰蛇が消えたのか、わかるか?」
勾陣は、吉昌や吉平のことも、怒鳴って叱ったことはない。
どちらかといえば、静かに諭す方法を取っていた。
そういう意味では、主の叱り方によく似ているかもしれない。
昌浩は、勾陣の静かな瞳をじっと見つめていた。
そうして、涙を浮かべながら、少し真っ赤なほっぺを膨らませた。
「らって・・・こーちが・・・」
「私?」
勾陣は軽く首を傾げた。
はてはて、なぜここで自分の名が出てくるのだろう。
さしあたって思い当たる節はない。
「だってこーち、ぐれんとなかよしでしょ・・?」
昌浩の瞳に、乾きかけた涙がまた滲む。
「まさひろのこと、おいてったもん・・ぐれん・・まさひろのこと、みてくれないもん・・」
昌浩といる時、あの金の瞳は逸らされることなく自分を見ていた。
呼べばすぐ振り向いてくれたし、傍にいてくれた。
それなのに、勾陣が現れたその途端、その瞳は彼女に向けられて。
二人は昌浩にはわからない話をする。
昌浩の届かない所で話をする。
話してる間、昌浩が呼んでも気付いてくれないかもしれない。
「あのね、れんとおはなししてたのに・・・だからまさひろ、いやだったから、それで・・・」
ぽろぽろと幼子は涙を零した。
成程。
したり顔で勾陣は頷いた。
つまりは、昌浩は自分に妬いたということだろうか。
確かに小さな昌浩では、長身の神将二人が立って話をしていると、別世界のように見えることだろう。
話す内容も難しくてわからないし、元々騰蛇は他の神将と話をしない。
それ故普通に話していても、特別に仲がよく映るのかもしれない。
「・・・そんなことは、ないのにな・・・」
「ふぇ?」
勾陣はクスリと笑った。
私と話している間、昌浩が呼んでも騰蛇が気付かないかもしれないだって?
そんなこと、あるわけないのに。
どれほどに、お前があれに与えたものが大きいのか。
きっとお前は知らないのだろうな。
ちっぽけで、私たちから見れば瞬きにも満たない時しか生きていない人間の嬰児。
けれど、神代に名を連ねる神でさえできないことを、お前は、お前たちはして見せた。
本当にちっぽけで、儚く、そして奇跡のような命。
「昌浩よ」
勾陣は優しく目を細めた。
「私と騰蛇は十二神将、この世で十二人しかいない、同胞なのだよ」
「じゅに・・しんしょ・・」
「そう、中でもあれと私は同じ闘将で立場も近い。だからお前には仲良く見えたのかもしれないが、案ずるな」
まるで内緒話でもするように、勾陣は子供の耳元で囁いた。
「お前が呼べば、私など放ってでもお前の所へ行くだろうさ」
昌浩が、こしこしと目元を拭った。
「ほんとう?」
「あぁ」
「じゃぁ、どうしてぐれん、きてくれないの?」
「それはお前が一番よくわかってるだろう?」
昌浩は俯いた。
自分が嫌いだと言った時、紅蓮の瞳が悲しそうだった。
優しい紅蓮の瞳が、寂しそうだった。
言っちゃいけないことだって、わかってたのに。
「こーち・・・」
昌浩が、小さな手をきゅうっと握り締めた。
「こーち、まさひろ・・れんにひどいこと・・ゆっちゃったぁ・・・」
ふぇっと再び泣き出す子供の頭を、勾陣が優しく撫でる。
そうだ、昌浩よ。
わかってやってくれ。
お前の一言が、どれほどにあれにとって重い言葉なのか。
お前があれに手を差し伸べた時、どれほどあれが嬉しかったのか。
そのお前に拒絶されれば、今度こそ騰蛇は闇に落ちる。
晴明でさえ、きっと助けられない。
それは嫌だと思う。
どんな男であれ、我々はこの世に十二人しかいない同胞なのだから。
「そうだな。・・・わかっているなら、いいんだ」
昌浩は何度も目元を擦るのだが、ぽろぽろ落ちる雫は留まるところを知らない。
「どうしよう・・ぐれん・・おこっちゃったよぅ・・・」
「怒ってなどいないさ」
「でも・・・」
「怒っていると思うなら、謝ればいい。そうだろう?」
潤んだ瞳が、不安そうに揺れる。
「・・・ゆるしてくれるかなぁ・・」
「当たり前だろう?もし許してくれなかったら・・」
勾陣が不敵に笑う。
「この私があれを叱ってやる」
ようやく幼子の面に、笑顔が浮かんだ。
「さて、と」
真っ赤な目をした幼子の頭をひと撫でして、勾陣はすっと立ち上がった。
きょとんと見上げる子供を余所に、勾陣の瞳は庭先を見据えている。
「いつまで立ち聞きしている気だ?」
瞬きの後に、何もなかった空間に長身の影が生じた。
いつもは冷たいその相貌が、困ったような決まりが悪いような、複雑な顔をしている。
その珍しい表情に、思わず笑みが零れた。
「趣味が悪いな」
「・・・・・不可抗力だ」
実は昌浩が泣き始めた頃から、彼はそこにいた。
昌浩に泣かれるとひたすら弱い男なのだ。
「れん!!」
昌浩が危なっかしい足取りで走ってきた。
案の定かくんと崩れそうになった小さな体に、慌てて紅蓮が駆け寄る。
逞しい腕に収まった昌浩は、ホッとしたようにその胸に頬を摺り寄せた。
「れんっぐれーん!!」
「こら昌浩、くすぐったい」
どこか固かった紅蓮の表情が、思わずといった風に緩む。
はしゃぐ子供に困りきった、けれどその面には柔らかい笑みを浮かべて。
「ぐれん、まさひろ・・あのね、あの・・・ごめんね?」
昌浩を抱え上げた紅蓮は、目を細めてゆっくりと首を振った。
「れん・・・おこってない?」
「怒ってないよ」
「ほんと?」
「本当だ」
昌浩は、きゅうっと紅蓮の首に抱きついた。
「ぐれん、だいすきっ」
その時騰蛇は背を向けていたので、勾陣からはその表情は見えなかった。
けれどもどんな顔をしているのか、わかってしまう。
「こーちー!!」
庭から、元気な声が呼ぶ。
紅蓮に抱っこされたまま、昌浩が手を振っている。
「こーちもいっしょにあそぼ〜!!」
満面の笑顔につられる様に微笑んで、勾陣は立ち上がった。
☆おまけ☆
「ねー、ぐれーん」
くいくいと腕を引く小さな手に、頬は緩むができれば応えたくない紅蓮だ。
何故かといえば、いや言いたくもないのだが。
「・・・どうした昌浩」
幼子は、可愛らしく首を傾げて尋ねた。
「あのね、こーちは?」
またか。
紅蓮は我知らず眉を顰めた。
あの一件以来、ことあるごとに昌浩は勾陣の名を出すようになった。
どうやら随分と勾陣は気に入られたらしい。
今までは紅蓮と二人でいると機嫌がよかったくせに、最近は勾陣もいないと不満らしく
すぐに勾陣は?と尋ねてくる。
「ぐれん?どぉしたの?」
顔を顰める神将を、昌浩は不安そうに見上げる。
紅蓮は慌てて首を振った。
「いや、何でもない。・・・勾陣を呼ぼうか」
立ち上がりかける紅蓮に、少し考えて昌浩は、やっぱりいいと首を振った。
「ぐれんがいるから、いい」
そう言って。
紅蓮は思わず言葉を失くしてしまった。
この子供は。
「れん?」
「・・・・いや。お前は将来もてるかもしれないなぁ・・・」
「??」
瞳を瞬かせる子供の頭を、紅蓮は笑って撫でた。
その一言で苛々させるくせに、同じ一言で堪らなく幸せな気分にさせる。
天性のものならば、大したものだ。
「勾陣よ」
主の問いかけに、柱に寄りかかっていた神将が顔を向ける。
「今日は昌浩のところに行かんのか?」
ここ最近よく一緒だったろう?という主の問いに、勾陣は肩を竦めて答えた。
「馬に蹴られるのは御免だ」
「・・・・あぁ、成程」
それでなくても相手は十二神将最強。
妙に納得してしまう晴明なのであった。
昌浩のヤキモチ話でした。去年の年末配布小説、陰陽師バージョンです。
あれです、独占欲を感じるようになるのは成長上大事な過程なんですよねvv笑
この前はじい様に嫌いと言ったので、ここは紅蓮さんにも一度言っとくかなノリでできたお話かもしれません(え)
それにしても、月子はかなり勾陣姉さんが好きみたいです(ノ´ー`)ノあの姉御肌、たまんないっす☆☆
そうして昌浩は、こうして育てられたのだろうなぁ〜なんて。いい兄ちゃんはいるし、ほんと羨ましい(笑)
ちなみにこの後勾陣のことを気に入った昌浩が事あるごとに勾陣と遊びたがり、今度は紅蓮がヤキモチを妬くなんて話があったりなかったりって
配布当時に語ってたので、オマケとして書いてみました。相変わらず天然で紅蓮を落としている昌浩です(ぷっ)
年末にお申し込みくださった方に限りフリーですv